漫画の話をしましょうか

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小野塚カホリ「ラブタイ」-共産趣味的新左翼BL漫画-

小野塚カホリは文学的BLの人で、BL界に岡崎京子サブカル要素を持ち込んだ人だ。

BL界での全盛期は1997年~2000年頃。BL界ではぶっちゃけ過去の人ですね。

はっきり言っちゃうと、この人のBL作品の骨格は「平成のBL」ではない。
ずばり「昭和のJune」です。

「ほほほ、昭和時代にJuneを少々たしなんでおりましたの」というお嬢様方(みのもんた的文脈)、かなりいらっしゃることでしょう。アテクシもですわ。24年組からの流れでJuneに足を踏み入れましたの。いつの間にか遠のいてしまいましたけど。
昭和の頃にJuneを少々たしなんでおられた方々にとって小野塚作品は既視感バリバリのはず。初めて読んだはずなのに知ってるぞ、この匂い。という感じ。私が初めて手に取った小野塚作品は「LOGOS」という短編集なのだが、それに収録されていた作品が、もう。明治時代・英国人・囲われ者の美少年・洋館・荒縄・阿片。タイトルが「らしゃめん」。なんだこの既視感はー!
まんま昭和のJuneやんけと読み進め、表題作「LOGOS」を読んでヤラれた。
1973年夏、父親をバットで撲殺した14歳の少年が親友と(恋人でないところがツボ)逃避行するロードムービーならぬロード漫画なんですが、この少年が父親殺しの凶器のバットを持って「69年東大安田講堂(有名な学園紛争です)」の落書きを引用するシーン、それに見事ヤラれました。飼い犬の名がロランド(チェ・ゲバラの盟友)、墓碑銘にはゲバラ日記…。ああもうダメ。わたし共産趣味共産主義イデオロギーとしてではなくカルチャーとして消費する悪趣味)あるんで、弱いんです、こういうの。

 

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また、小野塚さんは寺山修司マニアらしくあらゆるところに寺山修司の句の引用がある。もうほとほと「文学的BL」のひと。

この人の面白いところは話の骨格が昭和のJuneなのに、絵柄やネームのセンスは平成のものであるところ。男子キャラの雰囲気とかね、傷口を開いて見せつけるような痛々しさや毒々しさ、閉塞感と疾走感、重苦しさと独特の軽さ、全力でデカダンしてるキャラ造形とスタイリッシュで乾いた感性。ようするに作品全体に漂う空気感が90年代サブカルなわけ。 

 

小野塚カホリの「ラブタイ」は単行本未収録のうえ、未完の新左翼BL漫画。
掲載誌を調べて、オクって入手した。2006年発表の作品である。

タイトルの「ラブタイ」は、たぶん倉橋由美子の体験的新左翼小説「パルタイ」からのもじりと思われる。
パルタイ」は新左翼学生運動に対する風刺的な小説だったが、同時に右派風刺でもあり、いわば全方位批判的なスタンスだった。そこからタイトルを引用したわけだから、これも思想的背景としてはそっち方面かと思われたが、内容はかなりガチな学生運動モノであった。
なぜBL誌に発表したのか、その意味がわからないほどガチ。
タイトルに「ラブ」が入っていると思えないくらい恋愛要素が少ない。申し訳程度に入っているが、あくまでも「申し訳」。
メインはセクトの活動描写である。

 

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小野塚作品は絵柄が全力でデカダンしているのが特徴だが、本作ではその要素は薄い。
ペンタッチが荒れて、乾いている。

 

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わたしは小野塚カホリというひとは共産主義者ではなく共産趣味者なのだと認識している。
過去にも前述のBL短編作品「LOGOS」でいきなりゲバラ日記や東大安田講堂を引用したり、男女の恋愛漫画のタイトルを「スタハノフ運動」としてみたり、女子大生と教授の微妙な関係を描いた作品で教授の専門をキューバ革命に設定したり、とにかく数え上げればキリがないほど、共産趣味的なモチーフを作中に撒き散らしていた。それらには著者の思想背景はあまり感じられず、共産趣味的モチーフは徹底して話に色を添えるための「ツール」として扱われていた。

 

だからここまでガチな学生運動モノをこのひとが描くとは思わなかった。
しかもかなりセンチメンタルに。
それでもやっぱりこのひとは共産趣味者だ。
新左翼運動というものをイデオロギーとしてではなくカルチャーとしてみていることが感じ取れるからだ。
寺山修司やアングラ演劇などと同じ、カウンターカルチャー枠として新左翼を見てるのだとなんとなくわかるからだ。
このひとはたぶん1969年という「時代」、around’70という「時代の空気」を心底愛しているのだろう。60年安保ではなく70年安保に執着するのは「革命の理想が、かなわぬ幻想でしかないと悟った時代」に対する愛着があるからだ。

 

 

「ラブタイ」は連載3回までで中断しており、総ページ数100ページ弱なので、これはもう単行本に収録されることはないんじゃないだろうか。ちなみに掲載誌はBL界でもかなり汁気の多いレーベルのもので、雑誌掲載作品の半分以上が過激なエロ描写で埋め尽くされており、小野塚作品だけが浮いていた。よくもまあここまで雑誌のカラーから浮きまくった作品を巻頭カラーにもってきたものだ。控えめに言って、無謀。こういう雑誌の購買層がセクトオルグだバリストだ自己批判だ安保反対だって世界に興味あるとは思えない。アンケート結果、さぞ悪かったことだろう。

 

 

この人はBL誌と並行して一般誌で男女物も沢山描いていたが、2005年頃からはどんどん寡作になり数年に1冊コミックスが発売されるかどうかという開店休業状態。

初期に比べて絵柄も話も構成も安定したが、読者に訴えかける熱量が消え失せた感じだ。

BLも時々描いてはいるが、初期の頃のような凄絶な痛みや毒気は感じられない。

BL最新刊は「恋愛をしてもセックスをしても、すべて虚しい少年のためのポルノグラフィティ」というくそ長いタイトルのものだが、収録されてる作品の半分は10年以上前のものである事からも、その寡作ぶりが伺える。

※実はこの本に収録されている「対象ロマン」という作品は時系列的に「ラブタイ」のその後(30数年後)を描いたスピンオフ作品。

この本のカバー裏に「振り返ってみれば幸せな漫画家生活だったと思います」と、あとがきが書いてあり、オイちょっと待て。引退かよ?とかなり焦った。

はっきりと引退すると明言してるわけではないので杞憂かもしれない。

でも本当に引退する気ならちょっと待て。まじで。

「ラブタイ」を完結させるまでは引退待ってくれ。同人でもネット掲載でもいい。単行本描きおろしでもいい。絵が変わっててもいい。話がつまらなくなっててもいい。とにかく完結させてほしい。貴方の共産趣味の集大成であり、ライフワークだからだ。だって、これが描きたくて今まで描いてきたんだろう。違うのか?

 

少なくとも私は待つぞ。いつまでも。