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高口里純「幸運男子」-BL旧石器時代-

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BL史における紀元前の作品。
BL史を人類史に例えるなら、
「猿人」が森茉莉、「原人」が24年組・栗本薫、「旧人」がポスト24年組・白泉社系、「新人」が尾崎南高河ゆんなどの同人系。
で、この「幸運男子」はBLという言葉が生まれる以前の、BL直系の祖先ですね。BL旧石器時代って感じ。

 

 

高口里純は少女漫画家時代からありとあらゆるジャンルを描き尽くした人だった。少女漫画の枠内で不条理ギャグ、王道ラブコメ、ヤンキー不良もの、耽美、SF、ロック漫画、なんでも節操なく描いた。振り幅が広く器用な人なのでどんなジャンルでも一定水準以上のものを描き、ソツがなかった。また、とんでもなく筆が早くて多作。少女漫画誌だけでなくレディコミ・青年誌・BL誌でも描きまくった。

この作品は少女漫画家時代のもので、mimiに発表された。

「mimi」は講談社で出してた漫画雑誌。里中満智子大和和紀吉田まゆみ赤星たみこ等が描いてたレディコミと少女漫画の中間ぐらいに位置する、ヤングレディス誌という感じの雑誌だった。少女漫画のちょっと大人版って印象。
1988年に第一話が掲載されたそうだ。

商業BL誌の創刊が1990年代なので、やっぱこれBL紀元前だよな。

June誌があったじゃんというツッコミが入りそうだけど、JuneはJuneというジャンルであって、BLとは似て非なるものですから。

だから商業BLとしては最古の部類なのではないか。

 

高口里純って「トロピカル半次郎」の頃からそんなに極端に絵柄の変化がない人だと思ってたけど、やっぱマイナーチェンジはしてるわ。古い絵柄だな。
80年代のノリだよなーこれは。

 

「幸運男子」と書いて「ラッキーくん」と読む。もちろん作者の造語。
美形男子同士がいちゃついたりしてるのを見て「ラッキー」と思う女子。

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まだ腐女子という言葉がなかった時代なので、こういう造語が必要だったのだろうなあ。
いやもう、現代BLにも脈々と続くテンプレ設定のてんこ盛り。いやむしろこれがルーツか。BLテンプレの。

 

・不良×優等生(正反対の二人)


・そんな二人が親同士の再婚で一つ屋根の下に同居することに。

 

・攻めには彼女がいるが、これが腐女子。攻めと受けがくっつくのを応援。


・受け攻めのどちらかが風邪で高熱を出し寝込み、看病してるうちにHへ。


・Hすると寝込んでたほうは汗かいてスッキリ。看病してた側が寝込む。

 

風邪で寝込んで看病してるうちにH、看病してた側に風邪が移って寝込むというテンプレ、最近でも描いてる人結構いるのでもう永遠のBLテンプレですね。

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80年代のBL前史から続いてたんですねー。
BLテンプレから唯一外れるのは「死にオチ」。片方が死んで終わるというのは最近では滅多に見られない。これも時代の産物だよな。


時代が時代なのでH描写もえらく控えめ。高口里純は今でも直接描写を避ける人だけど。

 高口さんのBL作品の最大の特徴は受け攻めが両方とも雄(オス)であること。

「設定上は男性だけどみかけはどう見てもカワイイ女の子で単に胸がないだけ」という受けを描かないのである。だから受けだけど女の子とつきあってたりするし、攻めも女の子とセックスすることはやめない。

ようするに高口里純は一時期よく言われていた“「子宮を持つ女性の体が鬱陶しい」→「BL=男女の行為の代替説」(男キャラに女の子の身代わりをさせてる説)”を最っ初から逸脱してるのだ。

 

このへんの話を突っ込むとBLとは何ぞや?という話になってしまうわけだが。

だいたい、この手の話題は栗本薫から上野千鶴子まで、比較的最近では永久保陽子や藤本由香里まで、よしながふみから三枝貴代(この人物を知ってる人が一体何人いることか)まで、いろんな立場の人間がいろんな角度からいろんな説を語ってるけど、いまだに明確な定義って存在しないんだよ。BL読んでる人間が10人いれば10人とも、それぞれバラバラな定義を持ってるわけだから。当たり前のことなんだが、その人の立ち居地や価値観・嗜好により、定義がかなり異なってくる。
フェミ方面の識者からの定義は「ジェンダーの娯楽化」「男社会に対するアンチテーゼ」「女性の性欲の解放」「男女の行為の代替物」、アニパロ方面の識者からは「パロディの一形態」「遊び」、リアゲイ方面(主にゲイリブ)の識者からの定義は「同性愛者のセクシャリティを女性の娯楽の道具・オモチャにしたもの」等(あくまでも一部の説)といった定義が提示されている。
栗本薫は「コミュニケーション不全症候群」だと定義していたが、これは「BL」っていうより「June」。「少年愛」といわれた時代のもの。定義された時代も古いんで現代ではちょっとあてはまらないだろう。
よく言われる「男女の行為の代替説」というのもかなり古い見解。いまや、「男女行為の代替物」で割り切れない作風のものが多種多様に存在するから。で、「女性読者は受け(BLにおける女役・受動的な立場の男キャラ)に感情移入しているはず」というのも、もはやわりと古い見解。
よしながふみが「あのひととここだけのおしゃべり」で語っていたBL論の中に、「BLには男の人に対して、女である自分がタチ(攻める側・性行為において能動的な側)になれる楽しさがある」というのがある。ようするに、通常の男女の行為だと、どうしても身体構造的に女性は受動的存在(下世話に言うと“突っ込まれる側”)なわけだが、BLにおける男同士の行為で攻め(性行為において能動的な側・突っ込む側)に感情移入もしくは自己投影してる女性もわりといるということです。
そういう意味では「子宮の無い女」より「チンコのついた女」のほうがまだ最近の「BL」に近い。ただ、それでも、それはあくまでも多種多様なBL界のほんの一側面に過ぎない。
で、やはりわたしにもこの手のものを明確に定義することはできないのだが。

 

 

BLは受け手と送り手の距離が非常に近い、限られた世界の中で循環してるジャンル(悪く言うと予定調和のぬるま湯)であることは確か。

つか、BLってもともと内輪受けを想定して作られてる世界なんだよね。直系のルーツがコミケとかの同人界だから。限られた同好の士とだけ楽しめればいいという一般社会から隔離されたテーマパーク。もともとが。

そういう意味では「BLレーベルの雑誌に掲載されたものがBL」「それ以外はゲイをモチーフにしていてもBLとはいわない」という定義は全くの的外れではないかもしれない。
BLレーベルの雑誌に掲載されるということは、腐女子のテーマパークであるBL公園(男同士がカップリングになることに何の葛藤もない世界)に入場することにひっかかりや違和感を感じないということの表明でもあるからだ。

 

「mimi」って一般誌だから、この作品が掲載されたのはそういう意味でかなり特殊。「男同士がカップリングになることに何の葛藤も無い世界にいる人」を読者層として設定してないからです。