吉田秋生「バナナフィッシュ」 -地雷は撤去したので何にでも釣られる覚悟でアニメを見てる-
8月12日は「バナナフィッシュ」の主人公アッシュ・リンクスの誕生日だった。
Twitterで#アッシュ・リンクス生誕祭のハッシュタグが溢れ、お誕生日おめでとうコメントやイラストで盛り上がる…こんな状況が1年前に想像できたであろうか。
全19巻で1100万部も売れたという名作漫画「バナナフィッシュ」とはいえ、連載(1985~1994年)終了後20年以上も経つと本屋でフラワーコミックスを見かけることも無くなり、ブックオフでも売れ筋コンテンツではなく1冊108円で売られる有様。語る人は40歳以上の往年のファンのみ。少女漫画は鮮度が命なので20歳以下の若い人が新規読者として読者層に参入することは非常にレア。
こんなに良い漫画なのに「往年のファンが読者層」で終わってしまうのだろうか。若い世代に読み継がれていかないのだろうかとやりきれない気持ちでいたら、2018年7月からの、このSNSでの異常事態。
108円まで値下がりしていたブックオフの古本価格も348円まで急上昇。
復刻版コミックスはことごとく売り切れ。
全てはアニメ化のおかげである。
「バナナフィッシュ」とは、泥沼化したベトナム戦争終結後のアメリカ80年代NY、3人の学生によって偶然生み出された悪魔の薬物をめぐってストリートキッズ、コルシカマフィア、政府高官、合衆国が入り乱れて戦う、本来とても骨太な話である。
骨太なストーリーに「主人公であるストリートキッズのボス、アッシュ・リンクスと日本人少年奥村英二の深い友情」を絡めて「人間の関係性」を強く掘り下げて描写している。マフィアやストリートキッズが主な登場人物でドンパチが多いのに何で少女漫画なの?とよく知らない人は疑問に思うようだが、人間同士の関係性に拘っているのがバナナフィッシュが「少女漫画」である理由。バナナフィッシュが青年誌掲載作品だったらドンパチと政治的謀略がメインで話が進行し、人間同士の「関係性」は深く掘り下げないだろう。少女漫画は、舞台設定がマフィアだろうがドラッグだろうがアクションだろうが学園ラブコメだろうがファンタジーだろうがSFだろうが「人間同士の関係性」を深く掘り下げて描写する。
「バナナフィッシュ」は舞台設定や社会背景やストーリーに青年誌的な要素が強い事は確かだが、それでもやっぱり少女漫画なのである。
舞台設定や社会背景やストーリーが骨太で青年誌的要素が強いにも関わらず、雑誌連載時から非常に腐支持が高い作品でもあった。
腐支持が強い理由は
1.当初「ちょっと頭が良くルックスがいい不良少年」だったアッシュ・リンクスの
神格化・超人化・美形化が話の進行とともに加速
2.ついでに「深い友情」があまりにも深すぎて読者の妄想が加速
この2点に尽きる。
アッシュの容姿の美形化は、モデルがステファン・エドバーグからリバー・フェニックスへと改変された事が影響している(よく知られている事だが)。
ついでに言わせてもらうと、奥村英二のキャラデザモデルは野村宏伸だが(これも有名)、伊部と英二の出会いを描いた作品「Fly boy,in the sky」(1984年)の時点では野村宏伸は英二のモデルではなかった。1985年に角川映画「ボビーに首ったけ」でキャラクターデザインを担当した吉田秋生と声優を務めた野村宏伸が雑誌で対談し、それ以降、野村宏伸が英二のモデルになったという経緯がある。
アッシュの超人化が加速した理由は端的に言うと「作者の志向」と「冷戦終結」が大きい。
作者は天才描写に定評がある人。吉田秋生氏の「持てる者と持たざる者の対比」は本当に秀逸。
持たざる者(非天才)は持てる者(天才)に対峙すると、熱烈な崇拝者になるか極端な敵対者になるかどちらかに分かれる。
アッシュを「持てる者」として絶対的に描く事で「持たざる者」であるオーサーとの確執が生きる。ユーシスの同族嫌悪やディノ・ゴルツィネの執着も生きる。また、崇拝者でも敵対者でもない理解者・英二の存在が際立つ。「持てる者」の孤独も際立つ。
上記のような「人間同士の関係性」を深く掘り下げて描写するためにもアッシュ超人化は必要だったと思われる。
アッシュ超人化のもう1つの理由、冷戦終結。
冷戦終結によりソ連が消え、悪魔の薬物争奪戦の設定意義が崩壊してしまい薬物争奪戦をメインテーマにして話を続けていくことが難しくなった。そのためストーリー進行上の理由からアッシュを超人化せざるを得なくなったと考えられる。
人を狂わせ、自我を崩壊させ、薬物暗示を100%可能にすることができる悪魔のドラッグは冷戦下で軍事利用されるために色々な人間や団体の思惑が絡んで争奪戦が起きていたのに、ソ連が消えちゃったら話にならない。
10年も連載してると本当に色んなアクシデントが起こるものだ。
かくしてバナナフィッシュ後半は悪魔の薬物争奪戦から天才アッシュ・リンクス争奪戦へと話の軸が移行。
アッシュの超人化についていけない層はここで脱落したがアッシュ萌えの腐支持は逆に加速することになった。
強い腐支持の理由の1つ、“「深い友情」があまりにも深すぎて読者の妄想が加速”については、行き過ぎた友情というか、友情をとっくに超えて既に愛情というか、昨今で言うところのブロマンスというか。何にしても作者が意識的にやってることだ。吉田秋生の作風の源流の1つが「真夜中のカウボーイ」だから。
ご本人があちこちのインタビューでさんざん語っておられるので有名な話だ。男同士の魂の繋がり、でもセックスはしないよ、というやつ。
それが根底にあるので「男同士が魂の深い所で男女関係以上に結びついているのに性的な関係ではない」というのが吉田秋生作品ではあらゆるところに出てくる。
これねー公式が性的にくっつかないからこそ、読者の妄想が過熱するんですよね。
バナナフィッシュのアニメも、そこで盛り上がってるんすよ、たぶん。
アニメの話が出たからそっちの話をしますが。
連載終結20年以上を経てアニメ化されたわけですが、アニメは80年代から現代に時代設定変更され、はっきり言ってもんのすんごく「女性向け」の作り方をしている。もっと単刀直入に言うと腐がターゲット。あからさま。
私はベトナム戦争抜きのバナナフィッシュは無意味と思ってるので正直言ってアニメにはかなり不満がある。
ベトナム戦争がイラク戦争に変更されたからって、冒頭にちょっと出てくるだけだし特にストーリー進行上差支えはあるまい?と思う方もいらっしゃるかもしれないが、ストーリー進行上ではなく世界観構築上の差支えが大いにあるのだ。
ベトナム戦争が泥沼化し「勝てなかった」ことはアメリカの抱える闇と深い関りがある。ベトナム戦争とドラッグの関りはものすごく大きい。粗悪なドラッグが蔓延しマフィアの勢力拡大し、ドラッグを軍事利用・薬物暗示に使うという計画はベトナム戦争と無関係ではないのである。悪魔の薬物争奪戦はそういう時代性を抜きにしては語れない。
現代設定に変更した事で、薬物争奪戦は果たして現代に必然性があるんだろうか?という疑問がわいてくるのだ。
英二キャラデザがカワイすぎるのも狙いすぎて引く。原作英二はここまできゅるるん愛玩動物系ではなかった。
でも、まあ仕方がないかなと思う。
まず視聴者に興味を持ってもらえるようなキャラデザでなければならないから。
どんなに原作に忠実なアニメを作ったとしても、まずは興味を持ってもらわなければ、観てもらえなければ、始まらないし、話にならない。
商業アニメだからである。
アニメによりどれだけ収益を得られるかという視点から考えても、ターゲットを腐に絞ったのは正解だし、現代設定にしたのも正解。商業的要請としては大正解。
ベトナム戦争を排除したことも、ようするに原作の社会背景を捨ててでも、原作の「人間同士の関係性」描写に主軸を置いたアニメ作りをしているという事だと思う。
アニメの銃の持ち方などでSNSでツッコミが入ってるが、ガンアクションが正確である必要は無いと思う。もちろん個人的には正確な方が嬉しい。でも商業アニメの成功条件として必須ではないと思うのだ。
原作に忠実なキャラデザ、時代設定、腐要素排除、正確なガンアクションを取り入れれば男オタクのファンはつくかもしれない。が、男オタクがバナナフィッシュのブルーレイ購入やグッズを購入するかというと答えはNOな気がするのだ。
ブルーレイ、グッズ、イラスト集、復刻版コミックスなどのダイレクトな物販に結びつくのは率直に言っちゃうと「萌え」だと思う。
商業アニメにはたくさんの人と金が動く
↓
製作費を回収して次に結びつけるには物販収益が重要
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物販収益(物欲)に強いのは「萌え」
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殆ど男キャラしか登場しないアニメの場合、「萌え」を体現するには腐要素
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腐がターゲット
は、商業的要請として極めて正しい。
正しいので、このままこの路線で盛り上がってくれることを切に願う。
アニメ化がきっかけでバナナフィッシュの新規ファンが増えてくれるのはすごくすごく嬉しいからだ。
連載終結から20年以上経ってから、アッシュの生誕祭がTwitterで盛り上がるなんてそれだけで胸熱だよ。
キャラが動いてくれるだけで泣きたくなるほどうれしいのでアニメも毎週見てる。
バナナフィッシュが2018年に盛り上がってる。その状況が何より嬉しい。
腐向けでも何でもいいのでもっともっと盛り上がってほしい。
私はもうバナナフィッシュネタなら何にでも釣られる覚悟だ。
A英でもシン月でもゴルツィネ総受けでもオールOK。
地雷は撤去した。